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Yokohama Triennale 2020-PLOT48
「Yokohama Triennale 2020」 PLOT48


ヨコハマトリエンナーレ 2020
Afterglow ―光の破片をつかまえる

Yokohama Triennale 2020 ″Afterglow″

2020 7/17(金)~10/11(日) 毎週木曜日休場(7/23、8/13、10/8 を除く)

会場:横浜美術館、プロット48

主催:横浜市、(公財)横浜市芸術文化振興財団、NHK、朝日新聞社、横浜トリエンナーレ組織委員会

 

「タイトル」「コンセプト」「第1弾参加アーティスト」 を発表。

エピソード 00
ソースの共有

記者説明会 2019 年 11 月 29 日(金) 会場:プロット 48


 横浜トリエンナーレは、3 年に一度開催する現代アートの国際展として 2001 年にスタートし、まもなく 20 年の節目を迎えます。 本展は国際的に活躍するアーティストの作品から新進のアーティストまで、広く国内外の最新の動向を紹介し、横浜から新しい価値観と新たな文化を継続的に世界へ向けて発信し、国際交流と相互理解に貢献することを目指してきました。

 第 7 回展となる 「ヨコハマトリエンナーレ 2020 (Afterglow―光の破片をつかまえる)」 では、インドのニューデリーを拠点とするアーティスト 3 名によるラクス・メディア・コレクティをアーティスティク・ディレクターに迎え、彼らとともに時空を超える思考の旅へと誘います。

横浜トリエンナーレ組織委員会は、アーティスティク・ディレクターに ラクス・メディア・コレクティヴ (Raqs Media Collective) を迎えて開催する 「ヨコハマトリエンナーレ 2020」 のコンセプト、思考の出発点(ソース)、『ソースブック』、第1弾参加アーティスト 19名を発表しました。
タイトル: ヨコハマトリエンナーレ 2020 「Afterglow―光の破片をつかまえる」 Yokohama Triennale 2020 "Afterglow"


'2019 11_29 会場:プロット 48 「 ヨコハマトリエンナーレ 2020」 報道発表会の会場内の風景・スピーチなどの取材撮影・記事です。
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「EPISODO 00」Raqs Mea Collective

Yokohama Triennale 2020 ″Afterglow″
ヨコハマトリエンナーレ 2020「Afterglow ―光の破片をつかまえる」
エピソード 00 「ソースの共有」
ラクス・メディア・コレクティヴ (アーティスティク・ディレクター)

ラクス・メディア・コレクティヴ 「ヨコハマトリエンナーレ 2020 (アーティスティック・ディレクター)」
ニューデリー(インド)を拠点に活躍するジーベシュ・バグチ(Jeebesh Bagchi 1965 年)、モニカ・ナルラ(Monica Narula 1969 年)、シュッダブラタ・セーングプタ(Shuddhabrata Sengupta 1968 年)の 3 名によるアーティスト集団。 その活動は、作品制作だけでなく、展覧会のキュレーション、パフォーマンスのプロデュース、執筆など多岐にわたる。 建築家、プログラマー、ライター、キュレーター、舞台演出家などとのコラボレーションを行うことも多い。


ヨコハマトリエンナーレ 2020「第1弾発表参加アーティスト」

ヨコハマトリエンナーレ 2020 "光の破片をつかまえる"
「第1弾参加アーティスト」 を発表。


'2019 11_29 会場:プロット 48 「 ヨコハマトリエンナーレ 2020」 報道発表会の会場内の風景・スピーチなどの取材撮影・記事です。
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Ivana FRANKE
 
Hicham BERRADA

レクチャー 「意識の外にある椅子」
イヴァナ・フランケ (アーティスト)

 

パフォーマンス 「Présage(予兆)」
イシャム・ベラダ (アーティスト)
音楽:小松千倫、音楽サポート:荒井優作


タイトル 『Afterglow(残光)』 とは、日常生活の中で知らず知らずのうちに触れていた、宇宙誕生の瞬間に発せられた光の破片を指すものとして選ばれた言葉です。

ラクス・メディア・コレクティは、太古の昔に発生した破壊のエネルギーが、新たな創造の糧となり、長い時間をかけてこの世界や生命を生み出してきたととらえ、現代の世界もまた、さまざまなレベルでの破壊/毒性と、回復/治癒の連続性の中で、人間の営みが行われてきたと考えています。


'2019 11_29 会場:プロット 48 「 ヨコハマトリエンナーレ 2020」 報道発表会の会場内の風景・スピーチなどの取材撮影・記事です。
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Part2-Lecture「“Sharing Our Concept for Yokohama Triennale 2020”」Raqs Media Collective

レクチャー 「ヨコハマトリエンナーレ 2020」 “コンセプトの共有” 
ラクス・メディア・コレクティヴ (アーティスティク・ディレクター)


レクチャー コンセプトの共有”  モニカ・ナルラ (Monica Narula 1969 年 アーティスティク・ディレクター)

1)…私たちは、勿論 「エピソード」 もこのように行っておりますけれど、勿論 7 月には展覧会がある訳です。 私たちは、展覧会とは環境であると思っていて、それは複雑系の中に設けられるものと考えています。 複雑性というのは物理的や技術的・社会的な力が絡み合ったものです。…私たちは、この場所の近くのホテルに宿泊しています。 そこは様々な船舶に関するオブジェが飾られていてその中にノット、船ですから色々な結び目が展示されています。 それは、この展覧会、絡まり合った表現している良いたとえだと思います。 シーマンが使うノットは 40 以上あるそうです。 …複雑系の範囲というものは、はっきりしない場合が多いいです。 そして多くの場合は理解することが難しいが、わかり易いこともたまにはあります。 複雑系は沈殿物の層や時間と確実な実質なものの集まり、そして冬眠中の世界、もしくは危機の事態からできている。 また、同時に複合的なメニューも含んでもいます。 これらのメディユ・環境は感情とコンセプトがぎっしりと詰まった茂みであって、その淵・きわは鋭くて近寄りずらいものです。 メディユ・環境は急ごしらえで作られたもので予測はつきません穴がいろいろ開いています。 そうすることでこの歴史の吹き溜まりと両辺などにも開かれています。 メディユは人間の手を逃れて超人的な存在となることもあります。 展覧会は 「ソース」 を使うことで、その展覧会自体の特定性を創り出しています。 時間の制約と戦っている様々に異なる種類のものたちが 「ソース」 に触れることでメディユという環境の巣の中に籠れるようになって行くと考えられています。 これらの 「ソース」 は、人々の旅路におけるマイナーであっても特別な瞬間を捉えて記しているものです。これらの 「ソース」 が再編成してお互いを再び引き出し合うことで共生と主役の交代劇の枠組みが掲げられるようになっています。…

レクチャー コンセプトの共有” シュッダブラタ・セーングプタ (Shuddhabrata Sengupta 1968 年 アーティスティク・ディレクター)

2)…モニカさんは、先程ノット(結び目) について語られましたけれど、私は、もっと広がったカーペットについて話を進めたいと思います。 或る 「ビエンナーレ」 であった青いカーペットの話です。 今回の 「ソースブック」 と同じような本を創るときの話をします。 私たちは、上海の 2016 年 11 月に行った 「上海ビエンナーレ」 を立ち上げるために毎晩毎晩ホテルのロビーに有った青いカーペットの上で皆で飲むために集合していました。 私たちの構成メンバーは、本当に雑多でしてキュレーターもいましアーティストもいました作家やフィルムメーカーもいました。 しかし、いなかったのはプロの詩人です。 何故なら、我々は、詩人ではなかったけれど沢山の詩を語っていたからです。 ホテルのマネージメントの人たちは、私たちのこういった夜の会合は非常にうるさいということであまり歓迎はされておりませんでした。 安いウィスキーを売っていた店がたまたま隣にあり、飲みながら結構語る夜が続きました。 飲めば飲むほど人々は詩的になっていきました。 いくつかの詩は歌で表現されていました。 全員が歌を歌うのは上手くはなかったのですが参加していた人たち、また周りで聞いていた人たちはいっさい気にならないようでした。 ホテルの経営人たちはもしこのロビーから椅子とか家具を取ってしまえば、このロビーでみんな集合しないのではないかと家具を撤去しましたが効果はありませんでした。 彼らが判っていなかったのはこの青いカーペットの不思議な快適な魅力とワインと歌と詩が知らない人たちと共に集わせるマジカルな力それについて理解していなかったのです。 おそらく、そこに募っていたメンバーの誰かと誰かは、敵対国だったということも考えられますがその当時の治世学的には色々ありましたので、しかしながら皆が友人となりました。 そして、その詩の中でも一時的な休戦も呼びかけられたり、しいてこの休戦状態はこの先も続きました.。 この詩と云うのは語られて聞かれた対話の中で紡がれていったものなのです。 そしてそれを聞いた人たちも覚えていた人たちから口頭でドンドン伝えられていった詩なんです。 詩を読む人たちがまさに手から手でリレーをしてくれているのです。 時折私が話す内容は通訳や翻訳が必要だったり、音を掲げたりしましたけれどその言葉の意味とか言葉と言葉の空間とか言語を超えた形での関係が生まれており、そのつながり方はまるで戦場から逃げようとする兵士のように私たちをひっそりと俊敏に結び付けてくれました。 まさに、一つの詩がもう一つの詩につながると云うことを私はそこで実体験したのです。 そういった経験から 2017 年に共同編集として紛争についての詩の本をまとめることになりました。 私たちの 「ソースブック」 のソースを集めるのはケアー・毒性・独学・友情・光り輝く・こだわり・発光するとか云ったこれらのキーワードを考えを持つメディユを構成することにほぼ等しい創作活動でした。 それらがすべて一体となって、今・現在という意味を現在の中に与えていくと考えています。 「ソース」 と云うものは、参照できるデファレンスとして存在しています。 その中には凝縮された行為や素材や比喩に富んでおり、私たちに色々なヒントを与えてくれます。 「ソース」 を通じて私たちは質問を自分たちに投げかけ、周りを検証してきました。 そして、その 「ソース」 を集めると云う非常に知的で、また文化的な活動の中で私たちは指導者なき中、目覚めるべくして、この 「ソース」 作りを行ってまいりました。 この 「ソース」 と云った膨大な宇宙・世界の中ではなにもが大きくて近しい、それが同時に小さくて遠くにあるものはありません。 そしてこの 「ソース」 では様々な活動が複雑に入り組んでいることを受け入れることから 「ソース」 乗り換えが始まります。 すべての創作活動であったり、質問であったりするものは、変革の 「ソース」 の原生なのです。 そして一つひとつの変換が私たちが今その時にある状況を説明しています。 これらの中の 「ソース」 ですが、私たちは我々のアーティストと、この 「ソース」 をベースに会話を行っています。 それは、決してある特定の地域からきたから、この 「ソース」 を選んだと云う訳ではありません。 決してこの 「ソース」 がどこから来たかオリジンがどこかで選んだのでなく、この 「ソース」 に触れることで、私たちを何処に連れて行ってくれるか、と云う観点で選んでいます。 この 「ソース」 は、私たちのアーティストと我々の会話をより意義ある密度の高いものにしてくれています。 私たちは、「ソース」 のことを語ることで常にスタディングやワッツアップや電話などでつながっています。 幾つかのアーティストのフィードバックを皆さんと共有したいと思います。 例えば一人はこの 「ソースブック」 の情報は私の興味をかなり掻き立ててくれました。 この文献の中の遊び心にも感銘しました。 …すべての 「ソースブック」 の本を読ませていただきました。 アフターグロー(Afterglow)という考え方は非常に素晴らしいと思います。 私も色々な創造性を掻き立ててくれるものです。 個人的なレベルでも共鳴するところが多いいです。 特にトム・ギル著にあった西川さんの話には感銘を受けました。 そしてルミナス・ケアの発光体の考え方も素晴らしいと思います。 毒性とルミナス・ケアと発光の関係性について、また友人関係とルミナス・ケアについての関係性についても色々と考えさせられました。 私たちは、このようにアーティストと 「ソースブック」 についで話をする事で様々なコミュケーションができていて、通路ができているのです。 その中で、新しい軌道が生まれています。 それは今、現在と、私たちが何処から来たのか、そして何処に向かっているのかをつなげてくれています。 私たちは、そう云った通路づくりを無意識にこの 「ソース」 使うことで行なっているのです。 そして一つの歴史に特化しない、どこかの文化に偏っていない、どう云った価値観も中心も無いような特別な状況を生み出しています。 私たちの目の前にあるのはある種類の態度だけです。 ある意味で、私たちの中核神経に対しての、解毒剤と云えるかもしれません。…

レクチャー コンセプトの共有”  モニカ・ナルラ (Monica Narula 1969 年 アーティスティク・ディレクター)

3)…「トリエンナーレ」 と云うものは決してこうあるべきと云った形があるようなものではない、それは探しても、探しても見つけることわできない。 様々な複雑系が入りみだって出来たもので各々の要素がほかの要素から響き合って創られるもの振動して拡大して、または収縮して、ものとして存在するものだと考えます。 「ソースブック」 はまさに、その態度を捉えています。 そして、このキュレーションをするためのフレームワークとしてその考え方自体を 「ソースブック」 で表現しています。 青いカーペットの話であった一つの詩がまた一つの詩につながっていったと同じように 「ソース」 の中の様々な話がもう一つの話につながり、他につながり、拡散していきます。 「ソースブック」 では西川紀光さんに多くのことを学んでいます。 西川さんは横浜の日雇い労働者でありながら又、好奇心に満ちた被害者でした。 そして彼は宇宙を彷徨って、自分一人で学ぶと云うことの意味を具現化した方です。 そして別のとこでは 「ソースブック」 は、また別の空間で起点となった点を持つ二つの旅行記から少しづつ色々な文章を拾い集めています。 それは自分自身、また自分たちのケアーの仕方について書かれている旅行記です。 16 世紀の南インドで神々しい身体や植物・鉱物・動物、そして天使たちが友人をケアーする時の治療薬として書かれた本であります。 それは 「ヌジュール・アル・ウルーム (諸科学の星々)」 という本です。 それも 「ソースブック」 に入っています。 それでは 「ヌジュール・アル・ウルーム(諸科学の星々)」 の本の目次を少し皆さんに教義したいと思います。 第 11 章「預言とよい前兆の説明」、第 12 章「種まきと造園の説明、東風と東風が原因で発生するペストのための薬の説明」、第 13 章「古代の賢人の実験の説明、護符、計算と事象の位置の説明」、第 14 章「医術、病気、痛みの説明、簡便な治療薬と複合的治療薬、病気の原因、万病をインドとペルシャの万病のシステムをもとに区別する方法の説明」、第 15 章「インドとホラーサーンのレスリン、技、流儀と礼儀の説明」 本には色々な内容があるのですが、皆さんも後程ご覧いただければと思いますがこれらはすべて基本的には友人を治療するために書かれた書物なんです。 その後、100 年ばかり前ですが、ホリプロバ=モッリクが現在のバングラデシュの町を後にして、武田和右衛門と云うよそ者との恋のために、日本へと旅立った。 その旅行記も 「ソースブック」 にあります。 …

レクチャー コンセプトの共有” シュッダブラタ・セーングプタ (Shuddhabrata Sengupta 1968 年 アーティスティク・ディレクター)

4)…彼女は自分の母国を去り、はるか遠くの日本で経験したその別の世界に慣れ親しんでいく過程を回顧録に記しています。 そして彼女は時間をかけて日本の農業や台所づくりなどに潜り込んでいきました。 その姿を記したこの本は、私は、実はダッカの書店で偶然に見つけたんですね。 出版を行った方もこちらに今日はいらつしゃっています。 彼女の回顧録で記されている表現が素晴らしく、ここで皆さんと共有させていただきたいと思います。 ひとりひとりが傍にきて挨拶をしてくれます。 若い人も年取った人もみんな帽子をとって正座して頭を深く下げてお辞儀をします。 挨拶をかわす一人ひとりが名前を名乗って挨拶をして、こちらの体調を気遣い感謝と喜びを現す言葉を口にします。 何かを尋ね、答えるたびに三、四回は頭を下げあうというのがこの日本の習慣です。 私は日本語ができないので黙ってただ頭を下げるだけです。 これはまさに言葉が話せないからと云ってコミュニケーションを取れない訳ではないと云うことがわかっていただけると思います。 そして彼女もそうですし、西川さんのストリートと宇宙をつなげる黙想もそうです。 そして 『ヌズューム・アル・ウルーム』 の書もそうです。 その中では多くの形の生命と物質が取り上げられています。 そう云った色々な命や物質は意識の中の別々の隅を照らしやすいものです。 そしてそれらは共存する複合的な命を輝かせるエネルギーを指示しています。 生物学者の下村修さんは、生物発光という現象に照らされながら一生を研究に捧げられました。 理論家で作家のスヴェトラーナ・ボイムさんは 『友情のセノグラフィ』 と云う論文の中で友情の輝きについて探求しています。…

レクチャー コンセプトの共有”  モニカ・ナルラ (Monica Narula 1969 年 アーティスティク・ディレクター)

5)…少しその章を読みますと 「男女がその生まれの如何にかかわらず、お互いの閃光を反映し合う」 この光明の空間は、私たちが住む現れの世界に光を放つ人間らしさと友情からなる空間であります。 言い換えれば、友情とは、すべてを明瞭あるいは不明瞭にすることではなく、影と共謀し、戯れることなのです。 その目的は啓蒙ではなく光輝きであり、盲目的な真実を探求することではなく、不意に出会う明瞭さと誠実さを探求することです。 そして下村さんも素晴らしいことを私たちに教えてくれています。 私から出来るアドバイスとすれば、ぜひ生物学者や海洋学者そして両氏のアドバイスを聞いて下さい。 「Afterglow (残光)」 とは暗闇の前の光るものが発生する時に起こるものです。 それは光と光の間にあり、存在の茂みの中で 「Episōdo(エピソード)」 となります。 私たちの以上の説明から全ての皆様も私たちの今回のキュレーションの意図、そして思い、手法について、またこの先の 「ヨコハマトリエンナーレ」 がどのようになっていくのかと云うことを感じられたことを期待しております。 今回のプレスカンファレンスでは、私たちは全ての手はお見せすることはできません、致しませんが例えばアーティストリストなどは共有いたしませんが、幾名かのアーティストは今日ここにお越し頂きました。 私たちは、今回皆さんに テーマ、「ヨコハマトリエンナーレ」 のテーマと云うものは提示しておりません。 しかしながら様々な文献やそのヒントが載った 「ソースブック」 は提示しています。 私たちのステートメントをレポートいただくのではなくこの先 「ヨコハマトリエンナーレ 2020」 を共に調査し、創り上げていくパートナーになっていただきたいと願っています。…「ソースブック」 は 「ヨコハマトリエンナーレ 2020」 のウエブサイトからでもダウンロードが可能となっております。 『ソースブック』 について https://www.yokohamatriennale.jp/2020/concept/sources/ にて公開中。


参考資料:「 ヨコハマトリエンナーレ 2020 (Afterglow―光の破片をつかまえる)」 プレスリリース、『ソースブック』、説明会、他
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